Sky Bench Aerotechの代表者 他界

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(翻訳)
Sky Bench Aerotechは無期限に業務を停止しています
残念ながら、Sky Bench Aerotechの創業者であり運営者であるRay Hayesが2019年1月29日に亡くなったというニュースをお伝えしなければなりません。
彼の葬儀は、2019年2月4日月曜日に行われます。詳細については、彼の下記を参照してください。
 
Raymond Hayes 83歳は、インディアナ州フォートウェインのルーテル病院で2019年1月29日火曜日に亡くなりました。彼はインディアナ州サウスベンドでヘルマン・ヘイズとジュリア・ヘイズの間に生まれました。彼は1970年にデボラニールと結婚し、彼女は健在です。彼はラジコンセールプレーン(グライダー)の販売、製作、設計を楽しみ、セールプレーンキット販売会社Sky Benchのオーナーでした。 彼は自動車販売でも長い経歴を持っていました。 レイモンドは熱心なEagle watcherでした。(中略)オンラインゲストブックに署名するには、www.domccombandsons.comをご覧ください。

(原文)
Sky Bench Aerotech is suspending operations indefinitely.
We are sorry to pass on the news the Ray Hayes, the founder and operator of Sky Bench Aerotech, has passed away on January 29, 2019. His funeral services will be on Monday, February 4, 2019. Please see his obituary for details.

Raymond Hayes, 83, passed away, Tuesday, January 29, 2019 at Lutheran Hospital in Fort Wayne, IN. He was born in South Bend, IN, to the late Herman and Julia Hayes. He married Deborah Neal in 1970 and she survives. He enjoyed selling, building, and designing radio control sail space planes and owned Sky Bench, a company that sold Sailplane Kits. He also had a long career in automobile sales. Raymond was an avid Eagle watcher. Surviving are his children, Sarah (Justin) Taylor and Mark (Laura) Hayes; and granddaughter, Ruby Ray Hayes. Raymond was also preceded in death by his infant brother, Richard Hayes. A celebration of life service 4:00 pm Monday, February 4, 2019 at D.O. McComb and Sons Funeral Home Covington Knolls, with calling from 2:00 pm to 4:00 pm prior to the service. Memorial contributions Cancer Services of Northeast Indiana. To sign the online guestbook please visit, www.domccombandsons.com.

楽しみなサイトでしたが、代表者が亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。





フェイスブックRC Soaring JAPANが開設されました






ランチャーズ記録会(チビタワンメイク)


ランチャーズ記録会2018.08 CHIBITA-GO大会 第32回田中杯

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 武蔵野中央公園は通称グリーンパークと呼ばれています。200m四方の原っぱ公園です。戦争中は中島飛行機の工場、戦後は米軍施設だったそうです。小型のフリーフライトや紙飛行機のファンが集まるところで有名です。ラジコンは禁止です。

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 「ランチャーズ」という模型飛行機クラブは、模型飛行機ファンだったら知っている方も多いと思います。ホームページが充実していて感心します。

 今日は、チビタワンメイク大会で、HLG(ハンドランチ)PLG(ゴムで射出するカタパルトランチ)の二種目がありました。午前9時から2時間の間にMAX45秒を10投してベスト5投の合計で順位を競い、首位が同点の時はフライオフです。

 クラブ例会のようですが、おろおろと勝手に参加して「計時をお願いします」とオレかなりコミュ障だったかなと思ったのは、表彰式の時でした


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 木曜日にフェイスブックでI氏から「チビタなら1時間も有れば作れるから競技参加しませんか」と誘われ、ちょっとやってみることにしました。

 グリーンパークは家から車で15分なので、以前からフリーフライトをいくつか作って運動不足解消に通う予定でした。だからハンドランチとゴム動力機が1機ずつ作りかけになっています(笑)

 いつもながら完成はギリギリでしたが、何とか間に合いました。しかしフリーフライトは調整をしないと全く飛ばず、競技中もずっと調整していました。時間内に10投はこなせず5投まで、最後はMAXでうれしかったですね。

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 チビタの図面は、今日のランチャーズのホームページに競技結果とともに載っています。
 
 PLGについての備忘録
 PLGのパチンコのゴムは1グラムまで
 上昇はほぼ真上にまっすぐ(よく見ると緩い螺旋)
 主翼は3~4.5ミリバルサ
 尾翼は1.5ミリ程度
 高品質のCカットバルサを皆さん使っていました
 重さは10~15グラム
 取り付け角ゼロのいわゆるゼロゼロセッティング
 重心は真ん中くらい
 「こうすれば飛ぶ 模型飛行機」を翻訳出版されたK氏からアドバイス
  垂直上昇型PLGの最適重心位置
     テールボリューム×42+23(%)
 ラダーや水平尾翼の揚力を利用する調整は上昇時に効く
 塗装は普通、ラッカー2回~ドープ6回までいろいろ
 色付けはポスカも可、発色が鮮やか
 前縁にヒノキ等の補強は普通
 胴体はオーバースペックに思えるくらい丈夫なほうがいい
 (材質:カーボン丸棒、カーボン角パイプ、ヒノキ)
 旋回滑空の方法
  ラダー後端を曲げる
  水平尾翼後端を片側だけUP
  水平尾翼を非水平に取り付けるのも有効(上げた方へ旋回)
 高性能機や上級者は上昇高度30m程度、沈下率0.6~0.7m程度
 垂直上昇の調整、分かりませんorz
  揚力尾翼は有効だが、あえて使うことはない

 調整には、飛行の軌跡をじっくり見て記憶することが肝心












  風があると、だいたいいつもあるけど、風に流されることを計算して風上から飛ばします。特に急に風向きが変わったときは分かりやすいので慌てて原っぱ広場の反対側方向へ歩いていましたが、これがサーマルの発生を知らせる風だった場合、あえてサーマルから離れて飛ばすことになります。なくなりそうなほど飛んで欲しいけど、なくなってはいけない。フリーフライトの宿命ですね。

 タイマー(デサマ)は小型機の場合、超小型「ロータリーバンバー」を使います。通販で入手可

 メタボとロコモで、主治医に1日4キロ歩け! と言われておりますが、今日は6キロ歩きました
眠いっす






梅雨明け~! (本文なし)

梅雨明け~!

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ふた昔前のF3Bの練習風景


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この機体は何でしょう









ラジコンあまりやっていないのでブログの話題がありませんorz

プロポの乗り換えをしたので、梅雨明けしても設定が終わるまで飛ばせません













F3B-RES(ハイスタート曳航の2mラダー機競技)

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私の Olympic 650 (北関東サーマルにて)
見られて困るものがたくさん写っているが、幸い○○だけは写っていないw

 オリンピック650はスパン1,829mmのラダー機です。この機体は700g程度で仕上がりました。1980年頃の米国エアトロニクス(Airtronics)社のキットです。設計はリー・レナードです。彼はオリンピック(Olympic)、アキーラ(Aquila)、サギッタ(Sagitta)各シリーズの設計者で、当時は日本でも人気がありました。中でも、飛ばしやすく高性能でサーマル大会でも好成績を上げたのがサギッタ900(スパン2,515mm)です。
(知っているような口ぶりですが、本当は読んだり聞いたりしたことばかりw)

 サギッタ900は、今でもヤフーオークションに出品されると2万円以上の値が付くのではないでしょうか。実は私のオリンピック650もヤフオクで買いました。嬉しかったのですが、パーツが3点ほど抜いてありました。このサイズにしては頑丈な構造らしくウインチで曳航しても大丈夫だということでしたが、念のためにスパーの補強を重くならない程度に行いました。
 
 いくら名機と言っても、リー・レナードのキットはそのままでは、今のウインチで思いっきり曳航するには強度不足です。なぜなら、ウインチの標準がF3B競技用の強力なものだからです。それから、例えスパーをカーボンでガチガチにしても、曳航離脱時のハイスピードでフラッターを起こしてしまうと思います。

 飛ばしたことはありませんが、現在の日本の各メーカーのバルサキットでも同じだと思っています。ただ、OK模型の2メートルのバルサキット(胴体はグラス+カーボンパイプのポット&ブーム)を壊しては直し壊しては直し(そして補強した?)、していたTさんは昨年サーマル大会で2回表彰台に立っています。また、サーマル工房の3mのスケールキット「Ka-8」も、ウインチ曳航のサーマル大会に出場しているのを見たことがあります。持ち主の方にお伺いしましたが、補強せずに作って普通に曳航できた、と言っていました。

 とは言っても、F3Bウインチを能力いっぱいに使い350mまで風切り音を立てて上昇できるのは、競技用F3B機だけだと思います。

 話はF3-RESに変わります。以前もこのクラスの動画を見てブログに書きましたが、その頃は「F3B-RES」と呼ばれていました。F3Bとあまりにもかけ離れているので呼び名も変わってきたのでしょうか。
 
 機体としては写真の Olympic 650もF3-RES適合ですが、重いと思います。前のブログでリンクしたRC-Groupsにでている機体は、よく見ていませんが、500g程度ではないでしょうか。ところで、ここで話題にしているF3-RESって何なのか、をざっとRC-Groupsからネットサーフィンして、調べました。

F3-RESという競技のルール(世界標準はないと思います)
〇 ハイスタートは主催者が用意し、競技場によって短くしてもいい
〇 典型的なハイスタート(ショックコード)は
  テグス 100m
  ラバー 30m
  45m引っ張っていい、その時の張力は4kg
〇 機体は、スパン2mまで。材質は主に木でできていること


 ハンドランチをのぞいては、翼長2mのラジコングライダーは大きい方ではないと思います。しかし、2.5mや3mのグライダーを作るのはたいへんです。そう考えると、2mのグライダーの工作は適度にたいへんで興味深く、競技となれば高価なコンポジット機とも勝負できる(私の偏見によると、2m程度だと精密な翼型の効率がたいして高くない)し、gあたり単価の非常に高価なF3Kに比べて格段に安いし、いろいろな2mグライダーがでてきて嬉しい次第です。

 ただ、上記のショックコードを張るとなると、なかなか場所が見つからないでしょうね。それでF3-RESとF5J2000の互換性もあるし、日本でもっとF5J2000が流行って欲しいと考えています。

 ついでに言うと、海外のF5J400クラス(翼長2.5m≒100インチ)も2メートルにしちゃえばいいのに







F3B-RES

 
あけましておめでとうございます!
(今年はバカになるほど飛ばしたい!)
 
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Fineworx Miles (K1氏製作飛行)
2017年5月28日
古川喜平メモリアル 第40回全日本東京サーマル・ソアリング大会
於上里模型グライダー場
 
 K1氏によると、ドイツ製は理屈っぽく凝っている割に細かいところに気が回っていない、アメリカ製エアトロニクスのようなキットの方がいい、と言っていました。これはレーザーカットキットです。もうキット入手は困難かも知れません。最近は電動も含め2mバルサキットが多いですが,とても美しいデザインですね。今、思い出しましたが、前日までかなり根を詰めて作られたようです。自分はOlympic 650で出場予定でしたが、間に合わずに投げてしましましたorz

 MilesはPhilip Kolb氏が設計しました。2017年のF3B世界選手権優勝機を設計された方だそうです。いろいろエピソードのある著名な方のようです。
 
 ところで、この時私は東京サーマルで優勝する確率の高い方法を考えました。まあ半分冗談なのですが、競争相手の1番少ないラダー級で上位を目指しフライオフは最新鋭機で戦うというもの。
 K1氏は真面目に聞いてくれたのですが、「じゃあ、そのラダー機は何で出るのよ」と言ったものです。…確かにそういうグライダーは絶滅危惧種です、ヤフオクでサギッタ900が出るのを待つとか…


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御殿場のクラブからいらした方の「X-RES」
2017年9月24日
第23回 G-Force北関東サーマル大会
於上里模型グライダー場
 
 持ち主の方にお話を伺いましたが、レーザーカットではなくCNCミシンカットだそうです。私はレーザーカットの焦げ目が気になる方なので、これは気になるキットです。ハイスタート曳航のF3B-RESクラスのグライダーです。
 
 このクラスは、東欧、ドイツ、オーストリアアメリカと流行っているようです。


 以前はF3B-RESと呼んでいたFAI非公式ルールのようですが、今はF3-RESと呼ぶのでしょうか。もう少し深堀したいものです。

F3-RES Resources

有名なスカイモデリングさんもリンクしておきます。
F5J2000機が何機もありますね。




 アンドロメダについてさっき思いつきましたが、あの機体は日本のバード・オブ・タイムですね。ただスパンが小さい。あれを主尾翼だけ3mクラスにしたら、ラダー級やリブ組クラスに対応するのではないかなと…

 
 
 

アンドロメダ F3B 81

写真を撮ったのはこの時です
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古川喜平メモリアル 第40回全日本東京サーマル・ソアリング大会
2017/05/28 上里模型グライダー場
主催 ステッペンヴォルフ

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ここから下の写真は、拡大ボタンできれいに見れますorz
 
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 さて、上の写真の模型ですが、ラジコングライダーのベテランA氏がアンドロメダ F3B 81をリメイクした機体です。スクラッチビルドと言っていいのか分かりません。ただ10年前20年前では、こういう製作方法はなかったでしょう。つまりCADやレーザーカットを使った自作/製作(の準備)です。
 
 A氏は図面をもとにCADで原寸図を描き(特筆すべきはレーザーカットキットのように原寸図なしで組立ができるように構造?を再設計)、そのデータを知りあいのレーザーカットのプロに依頼しパーツをカット、聞いたところでは確かリブと胴体側板と胴枠…、それを組立てリンケージしモノコーテを張り、東京サーマルに出場、優秀な成績を収めました。
 
 僭越ながら上反角が少ないのではと聞くと、やはりラダーは効きにくいそうです。タスクCのスピードタスクをこなすのでやむを得ないということでした。しかし細い胴体にテーパーの強い主翼平面形、それからそれぞれの翼のセンスのいいデザイン、大いに魅力を感じる機体です。更に山本 昇氏設計と聞けば興味津々ですね。
 
 オリジナルはダイブ・ブレーキという主翼後縁の板をクルっと回転させ垂直に立てるブレーキですが、A氏のモデルは普通のスパーに沿ったスポイラーです。機首のメカ積みを拝見しましたが、今風シャーレのF3B機並みに細く、メカ積みの苦労が見て取れました。
 
 ところで残念なのですが、このモデルのデータは「門外不出」だそうです。それから冗談か本気か「グライダーの設計請け負いますぜ」とも言っていました。自分としては妄想を働かすのに十分な動機になるのですが、一生かかってやっと作れるちょうどいい量のキットの在庫があるのです(^^;)
 
 それでも、こんな自在に自分のお気に入りのグライダーを簡単に作ることができる方法を実現したのに、他の模型があまり作られないというのは、これはまた更に残念なことです。F5J2000またはF3B-RESだったらリブ組機でも十分戦えるのではないか、開発大量生産して欲しいとわたくし的に無責任に考えている次第です。
 
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 アンドロメダ F3B 81は、1981年7月にアメリカ・サクラメントで行われた第3回 F3B世界選手権に山本 昇氏の愛機として出場しました。同氏のモデルのカラーリングは、胴体が紺色、主尾翼はオレンジだったと思います。
 
 この年のF3B日本選手権にはどのような機体が活躍していたか古いラジコン技術で調べてみると、
 
優勝 川村周二氏   ヘル・ダイブ
 2位 長谷川 克氏  ライハーMkⅢ
 3位 辻 正美氏     ピポα
 
 私は、まだラジコンを始めていなかったので詳しくは分かりませんが、おそらくこの3機は全て自作ではないでしょうか。ライハーはキットの広告を見たことがありますが、それは長谷川氏設計なので当然自作ですね。
 
 その2年前(1979年)の日本選手権の機体はというと、
 
優勝 長谷川 克氏 アキーラ・グランデ
 2位 辻 正美氏    アキーラ・グランデ 
 3位 山本 昇氏  アンドロメダ F3B
 
 27機中11機が リー・レナード氏設計のアキーラとアキーラ・グランデでした。

ちょうどこの頃は、F3B機競技が始まって数年、競技用機もどんどん進歩していった時期なのでしょう。

 
 山本 昇氏は数年前にダッセル(1979年 第2回3B世界選手権 優勝機)に刺激されてこの機体の設計をしたそうです。山本氏は技術の差を冷静に受け止めて、それぞれのメリットデメリットを分析し、自分にとって「望ましいF3Bモデル」を作り上げました。素人考えですが、デーブ・ソーンバーグの「オールドバザドのソアリング・ブック」にあるようなフローター対鉛のそり議論が思い浮かびます。
 
 ラジコン技術 1981年8月号の山本氏の記事より引用:
「このモデルが、翼型再現についての、とんでもない高度な精密技術の基礎の上に成り立っていることを知り、彼我の間の超えられそうにもない大きな技術落差を思い知らされて、オリジナル・デザインが生き甲斐のモデラ―として、夢も希望もない暗い見通しに打ちひしがれたものでした」
 
アンドロメダ F3B 81 設計・製作 山本 昇
諸元
全幅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2,620㎜
全長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1,220㎜
主翼面積・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 54d㎡
翼型・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ E178改
アスペクト・レシオ・・・・・・・・・・・・ 12.7
主翼取付角・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2°30′
水平尾翼面積・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6.9d㎡
水平尾翼容積・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 0.37
水直尾翼面積・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.3d㎡
水直尾翼容積・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 0.014
機体重量・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1,285g
バラスト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1,250g
翼荷重・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23.8~47d㎡/g
重心位置・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前縁より33%
RC装置・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3ch(ラダー、エレベータ―、ダイブ・ブレーキ)
 
 
下記、設計図はラジコン技術の了解を得て掲載しています。
 
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 山本 昇氏は、アンドロメダ F3B 81でF3B用ラダー機としてはほぼ完成と思っていました。ところが、ドイツの模型雑誌の「2~3m程度の翼幅の場合、アスペクトが10~12の方が14~15よりも滞空性能が良い」という記事を読み(知人が訳してくれたとのこと)、81型をさらに改良したのが82型です。
 アスペクトを低くした主翼に、胴体は全くそのままだそうです(ただし、ルール変更のため機首を丸くした)。
 
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アンドロメダ F3B 82 設計・製作 山本 昇
諸元
主翼翼幅 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2,375㎜
 〃  翼弦長 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 翼根 280mm, 翼端 160mm
 〃  翼面積 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 55d㎡
 〃  縦横比 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1:10.2
 〃  翼型 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ エップラー178改
水平尾翼面積 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7.4d㎡
  〃   翼型 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 対称
  〃   容積係数 ・・・・・・・・・・・・・・ 0.37
水直尾翼面積 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.3d㎡
  〃   容積係数 ・・・・・・・・・・・・・・ 0.016
全長 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1,195㎜
全備重量 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1,320g
バラスト重量 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1,910g(最大)
主翼翼面荷重 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24.0d㎡/g~58.7d㎡/g
RC装置 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3ch(ラダー、エレベータ―、エアブレーキ
構成材料 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バルサ、航空ベニヤ、ヒノキ
主翼・尾翼 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・スーパーモノコーテ
胴体 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ エクセルコート
 
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 当時のサクラメント世界戦での逸話を読んだり聞いたりしました。アンドロメダ F3B 81はサポートメーカーにそのメーカーのサーボに換装を依頼されたが極限まで細くした胴体のためできなかったこと、大破した機体をゴミ箱に捨てたが翌日には誰かがすっかり持って行ってしまったこと。また日本チームはウインチトラブルで成績はぱっとしなかったが機体のレベルは高かったこと、カナダチームのロケットランチングのこと等々。
 
 それから私事で恐縮ですが、私が初めてウインチでラジコングライダーを曳航した時(ただし1発目でマイOlympicIIはバンザイ)、山本さんがいたのです。だからリトリブの注意点は、最初は山本さんに教えてもらいました。
 木組みにモノコーテというのが山本さんのモットーだったのだと思いますが、そう考えると自分はそういう影響をかなり受けているかも知れませんw
 いつだったか、Hさんのフルプランクの自作グライダー「インターミッション」に赤いモノコーテがきれいに張ってあるのを見て感心していたけど、今となっては確かにフルプランクにモノコーテ張りは難しいと思います。
 ずい分経ってからF3B日本選手権で山本さんの計時係もしました。モデルはA-XX型というエルロン機でしたが、やはりバルサ、ヒノキ、航空ベニヤ製でモノコーテ張りでした。AはアンドロメダのAなんでしょう。もう他の機体はほぼコンポジットだったと思います。製作時間を聞いたところ、「一日8時間作ってるとして…」とほぼ毎日仕事のように作っているようでした。