ピュアソーラー機の初飛行(日本)

光を吸って「鶴」は舞う(1992年の読売新聞より)
 ー 写真・文 入江さやか

 千葉・埼玉県境の江戸川河川敷にある日本航空協会 関宿滑空場。翼一面にはった96枚のソーラーセル(太陽電池)が初夏の日差しを照り返してまぶしい。日本模型航空連盟理事の古川喜平さん(69)が作った模型飛行機「鶴」号が、このほど初フライトの日を迎えた。ソーラーセルだけを動力源とした「ピュア・ソーラー機」で、日照の強弱を問わず1年を通して飛べるのは国内ではこの「鶴」号が初めてだという。

 翼長は2m、前後の長さは1.3m。0.1g単位で徹底的に材料を吟味した機体作りで、重さはわずか890g。片手でも持てる。命ともいえるソーラーセルは、太陽エネルギーを15%の高率で電力に変換できる単結晶型だ。
 「鶴」号はプロペラとグライダーの機能を臨機応変に使い分けて飛ぶ「省エネルギー構造」が自慢だ。日差しの強い真昼に限らず、夏なら朝6時から夕方7時まで飛べる。
 初フライトでは上空150mを悠々と舞った。「模型飛行機はおもちゃのようにみられがちだが、実は新素材や技術を集めたハイテクの粋」と古川さん。ピュア・ソーラー機の世界記録はドイツ人の持つ10時間連続飛行。「もっと効率のいいソーラーセルが手に入れば、世界一も夢じゃない。早く日本でも競技会をやりたいものです」と空を見上げた。

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1992年(平成4年)5月27日 読売新聞 夕刊

(1992年(平成4年)5月27日 読売新聞 夕刊 より転載しました)

  
 太陽電池で飛ぶ航空機は「ソーラー・インパルス」が有名です。2010年に太陽エネルギーだけで初飛行、2015年から翌年にかけて何回かの飛行で世界一周を達成しました。模型についてどうかというと、日本では古川喜平さんが成功していました。27年前のことです。
 古川喜平さんは、当時は模型グライダー専門店「スルガヤ」を経営、またF3B日本選手権など日本のRCグライダー競技の開催に尽力していました。日本模型航空連盟 関宿滑空班の班長として模型グライダーの研究・普及発展に努められました。1995年にはFAI(国際航空連盟)よりポール・ティサンディエ賞(The Paul Tissandier Diploma)を受賞しました。

 

 

 

 
ここからはどうでもいい話

 若きグレタ・トゥーンベリさんのスピーチで地球温暖化(気候変動問題)が話題になっています。交通手段として航空機は電車の5倍の二酸化炭素を排出するそうで、なんだか飛行機に乗るのは恥だと「飛び恥」という言葉まであるそうです(本当ですかね)。日本は石炭火力発電が多い、ということで安倍首相の国連スピーチが拒否されたりしています。では原子力発電はというと、東日本大震災被災国としては国民感情も複雑で、ならば再生可能エネルギーがベストだと思ってもスーパー台風が風車をなぎ倒したら一巻の終わり…。そして、桶屋が吹けば太陽光発電というわけで話がまとまるわけです。

 ところで、 1958年に日本でオーロラを見ることができたそうです。それは大規模な太陽フレアが吹き荒れたからだそうで、
…(ここで思い出しましたが、1958年は南極観測隊のタロジロ物語の年であります。仔猫のタケシもいたそうであります)
ガリレオが太陽の黒点を観察して以来400年間の黒点の記録があるそうです。それを見ると1958年程度の太陽フレアは何回もあって、100年に1回くらいの太陽フレアでも今の情報化社会ではデジタル機器に大きな被害が出るそうです。記録での最大級の太陽フレアが吹くと、電力網は大打撃を受け大型の変圧器は再び作ることができないそうです。

 ということで、石炭石油ガスは輸送しなければならず二酸化炭素排出があり、原子力は怖いし、風力発電は台風でなぎ倒されてしまうし、エネルギーについては地産地消型の太陽電池しかないのである、と2回目の桶屋が吹けば太陽光発電というわけで話がまとまるわけであります…

 

 世界初のソーラープレーンは(ミニチャレンジャーで有名な)AstroFlightの翼長10mのラジコン機だそうで、翼面荷重が11gとかUltimaも( ゚Д゚)
                           本当ですかね