2014 F5J World Cup Japan

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2014.07.27 上里模型グライダー場 
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右下虫眼鏡で超大画面

F5J WorldCup Japanに参加してきました。
 
 今回、嬉しかったのはジャッジ(タイムキーパー)がついたこと。これで単独参加も可能です。普通は、助手がついていろいろアドバイスしながら高得点に結びつけるのですが、ぼくの場合は約1名の先輩以外のアドバイスは素直に聞かないので、1人でもいいのです。暑い中、嵐も吹き荒れた中、1日中フィールドで頑張って頂いたジャッジの皆さんに感謝いたします。ありがとうございました。 ☆ハンドランチの方々とお見受けしましたが、日頃の鍛錬の賜物である体力に感銘いたしました。
 
 また、今大会は日本で初めてのFAI-CIAMのワールド・カップです。CIAMではF5Jについては、世界選手権を開催せず各国転戦のワールド・カップ方式により世界チャンピオンを決めることにしました。ヨーロッパ中心の転戦が有利であり、極東の日本は非常に不利です。ただ、日本航空協会はFAI世界選手権種目のみ日本選手権者を表彰するので、実質的にこのワールド・カップがF5J日本チャンピオン決定戦となるのです。
 豪華メンバーがそろいました。
 第一に名を上げるべきは、2014年 MNTFC F5J競技会優勝の南浩一選手。
それからここからは年齢順でしょうか。
中條延幸選手、ぼくがラジコン技術を読みだしてから何十回も目にした名前です。スタント、パイロンで活躍、特にパイロン世界選の経験が豊富な方です。F5J、F5J2000の普及に尽力されており、頭が上がりません。
菅原寿選手は、V尾翼の性能が認められていない時代にV尾翼の名機サイド・スリップを製作・飛行してF3B日本選手権を制覇。今では9割方のF3B機がV尾翼です。大会委員長の上山憲一さん、2年連続F5B日本選手権制覇中、世界スピード記録保持者。
吉田正秀選手、ここ数年連続してF3B世界選手権日本代表です。F3B日本選手権は予選本選があり、その成績で日本代表が選抜されるので安定した成績でないと世界選連続出場は難しいものがあります。
川村周二選手、F3B日本選手権最多勝利、というかRC業界の方でもあり、RCグライダー界のオピニオン・リーダーなのではないでしょうか。
大高均選手、F3B・F3J日本選手権計5回優勝、第1回全日本F5J競技会優勝。
競技進行と機材準備をして頂いたフィールドディレクターの天田政浩さん、数日前までスロバキアで行われていたF3J世界選手権に日本代表として出場していました。
永井茂樹選手、電動グライダーのマルチタスク競技F5B日本選手権優勝6回、F3J日本選手権優勝1回。「RC模型グライダーのページ」の管理人ですが、最終更新日は2006年。競技成績も途絶えています。
宮下俊選手、同じくF5Bで活躍。2008年 F5B日本選手権優勝、2013年 F5B Japan Open優勝。8月のオーストリアF5B世界選手権日本代表です。
エントリーはF5Jが21人、F5J2000が14人、のべ35人でした。

 前日も暑い日でしたが、上里模型グライダークラブの好意で練習することができました。大高さん、永井さんが一緒です。夕方になるとサーマルだか何だか10分くらいは飛ぶようになりました。何かの拍子にぼくの機体のペラのアンバランスに大高さんが気がつき、少しピッチの強い予備のペラに交換しました。その後は慣れないペラのせいで獲得高度が分からなくなってしまいました。成績不振はこのせいです(笑)
 この時、永井さんに折ペラのバランスはどうやって取るのか聞いてみました。基本的に同じ重さだったらOKということでした。F5Bでは、ペラは自分でカーボン・ロービングとエポキシ樹脂で1度に20~30本作っていた、それくらい作ると必ず同じ重さのがあると言っていました。「ネ申」と呼ばれたというウワサを聞きましたが納得です。

 競技会当日の最高気温は37℃以上湿度も高く、その上暑すぎでサーマルも出ません。10分滞空のために、着実に200mギリギリの高度を獲得する作戦が有利だったようです。何故か2000クラスの時は多くの機体が高度を稼いでいるように見えました。偶然サーマルが出たのか、ウデか、それとも軽量機なので弱いサーマルに乗ったのでしょうか。
第2ラウンド終了後、昼休みになって怪しい雲行きになり、本部から「1時間後に雷雨」と連絡がありました。「茶里庵」特製F5J弁当を全部食べる間もなく、突如の突風、ついで雷雨。機体はバラして車内にしまわなければならないし、テント・タープは飛んでいきそうになるし、本部からうら若き女性の悲鳴は聞こえるし、本気で怪我人の心配をしました。まあ気持ち良く2回飛ばしたし、と考えながら車内で雨が上がるのを待ちました。雨がやむと本部集合の連絡。30分後に競技再開とのこと。雷鳴は時折聞こえるものの、青空が広がってきて、嬉しいことに涼しい風も吹いてきました。
 当初、予選4ラウンド1カットの予定でしたが、予選3ラウンドで決勝進出者を決めることとなりました。川村選手は予選で大きな失敗をして決勝進出は諦めていたようですが、見事に決勝進出。

ここで獲得高度(m)について予選上位の成績を見てみます。
1位 大高選手 186 186 182
2位 永井選手 202 198 197
3位 川村選手 149 140 160
4位 中條選手 203 195 192
5位 吉田選手 261 227 178
 
川村選手は3年以上前から時々F5Jの練習をやってきているので、この高度は狙ったものだと思います。他の皆さんは見事としか言いようのない寸止めですね。吉田選手がすごい数字ですが、多分この日が出場機の初飛行だったのだと思います。
「やっぱり練習しないとダメだなあ」「でも、面白くないんだよな」と言っていました。F3Bウインチで『もっと高く』とやると気分がスッとしますが、寸止めは縮こまった感じになってしまいます。でも、ビリヤードなんかでもこんな感じのシーンはありますよね。
(吉田選手は初飛行の機体で決勝進出、4位入賞しましたが、F5Jはこの程度かと思わないで下さい、吉田さんが特別なんです)
 
 上位7名で行われた15分MAXの決勝、第1ラウンドは川村選手が高度178mから14分59秒飛んで、2位永井選手に5分近い差をつけて圧勝。2年前のF5J体験競技会でもパーフェクト優勝しているし、さすが川村さんと思った人も多かったでしょう。予選トップ大高選手と中條選手は低空からのサーマルハントを狙ったのか(そして失敗して)、得点なし。定点より75m以上離れた着陸は無効になるのです。
(後日談:FAI高度は200m近く、弱いサーマルを追い続けたが、帰還できずに場外となったとのこと)
 第2ラウンド、川村選手は安全策をとって高度214m、200m超の減点よりも確実なサーマルハントを期したものです。この後はよく見ていませんでしたが、気がつくと低空でフラフラの飛行で9分で着陸。この時点で永井機は数十mの高度だったか、大高機の方が低かったと思います。発航レーンに近く、やや川寄りで大高機が弱いサーマルに乗り始めたように思います。それからジワジワと高度を上げていき、F5J高度138m、14分56秒の大高選手が1位、220m14分54秒の永井選手が2位。第1ラウンド無得点の大高選手は「永井を追い詰めて、先輩を援護したんだ」と言ったようですが、どういう意味でしょうか。

 総合得点1534点で10年ぶりにグライダー競技に復帰した永井選手が優勝、機体はエクスプローラーF5J、こなした練習飛行は100発だそうです。川村選手は1531点で2位、本番機を失い借りた機体で決勝を戦った宮下選手が3位。宮下選手は8月下旬のF5B世界選手権に出場が決まっています。

 1位と2位の差は4点。F5J高度で2m抑えていれば逆転でしたね。
(すみません、3点差ですね、F5J高度で1m)

 特筆するべきことをふたつ、①決勝7位の青木選手の機体は40年くらい前にリーレナードが設計したエアトロニクス社のキット、グラン・エスプリ電動改です。 ②青木選手の助手は私が務めさせていただきました、風上の林の上が無難だとしか言わず、まったくサーマル検知できず申し訳ありませんでした。
 
 残念なことに、写真を200枚ほど撮ったのですが誤ってほとんど消失してしまいました。決勝進出の方々、川村選手の機体、宮城県からいらした青木さんのグラン・エスプリ等のお宝写真が失われてしまいました。

 運営にあたられた電動機委員会の方々、ご協力いただいた上里模型グライダークラブの皆様、ジャッジの皆様、ありがとうございました。
 
 成績は、JRECのサイトの競技会結果に掲載されています。
 



 
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予選の風景
エクスプローラーF5Jを持つ永井選手
助手は大高選手